できないこと
朝、娘を起こし、朝食を準備し、片づけ、犬にご飯をあげ、散歩に連れて行きお世話をする。こんな毎朝の当たり前のルーティーンができない。むち打ちで、体が痛くて起き上がれない時、ふと思ったこと。いちいち痛みを我慢し、口頭であれやこれやと指示をし、すんなりいかず、イライラする。父もこんな気持ちだったのかと。ガンの骨転移で、腰が痛く、動けなかった父。イライラしていたことが多く、毎日、お見舞いに行くたびに、口喧嘩をすることも多かった。腰に激痛があるのに、看護師に頼らず、自分でトイレに行こうとして、こける。なぜ?看護師を呼ばないのかと問いただすと、呼んでもすぐに来てくれないと。確かに、それはある。でも、今まで自分ひとりで当たり前にできていたのに、誰かの手を煩わせてしまうことが面倒だということ、それにより思い通りにいかない色んな事に苛立ちを感じていたのではないだろうか。そして、痛みは、怒りに変わる。「なんでこんなに痛いのか?」と。自分はこんなに痛いのに、グダグダ周りで言われると、イライラする。今なら父の気持ちが少し分かる気がする。そして、もっと優しくできたのではないかと、もっと父に寄り添えたのではないかと、後悔ばかりが湧き上がる。情けない自分。
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